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情報紙エソール
エソール広島では、情報紙「エソール」を年3回(4月・7月・1月)発行しています。
特集記事・行事報告・
読書ガイド・催し物等情報満載です。ぜひご覧ください。◆(希望者には郵送にてお送りします。)
VOL55(平成17年冬号)

- 第16期ひろしま女性大学・第5期ひろしま女性いきいき講座 入学式・記念行事
- 2P
- 男性セミナー「新しいいのちを迎えるために」
- 4P
- DV防止法が改正されました
- 5P
- エソールのページ
- 6P
- ひろしまけん通信
- 7P
- エソールインフォメーション
- 8P
『エソールdeトーク』をはじめます!!
情報紙「エソール」では,テーマ投稿のコーナーを設け,読者の皆様の声を募集します。 より活気ある紙面づくりにぜひご協力下さい!!
「生まれ変わるとしたら,次は女がいい? 男がいい?」
「最近うれしかったことはことは何ですか?」
・・・お好きなほうのテーマを選び次の要領でお寄せください。・・・
- 文字数
- 100字以内
(編集の都合上,趣旨を変えない範囲で原稿を編集する場合がありますので,あらかじめご了承ください。) - 投稿方法
- ご意見・住所・名前・年齢・性別・電話番号・匿名希望の有無(匿名希望の場合は ペンネーム)をご記入の上,郵便,FAXまたはE-mailでお寄せください。
- 締め切り
- 平成17(2005)年2月28日(月) 消印有効
- 送付先
- <郵便>
〒730-0043 広島市中区富士見町11-6
(財)広島県女性会議 情報紙係
<FAX> (082)240-5441 <E-mail>essor@essor.or.jp
※件名を「エソール投稿」にしてください。
第16期ひろしま女性大学・第5期ひろしま女性いきいき講座 入学式・記念行事
平成16年(2004年)10月9日(土)エソール広島において,「第16期ひろしま女性大学」と 「第5期ひろしま女性いきいき講座」の入学式及び記念行事が行われました。入学式の後の記念行事として,広島県立大学教授の野原建一さんの講義「女性大学で学ぶ意義~学びから活動へ~」が行われ, 「ただ受講するだけではなく,女性大学を情報交換の場とし,友達の輪を広げて学んだことを地域で伝えてほしい。」とのお話がありました。 引き続き,各講座に分かれて学習方法などについての説明があり,交流会では,グループハーモニー(第4期いきいき講座修了生)の企画及び進行により, 「出会い,ふれあい,学び合い」をテーマに,自己紹介し友達づくりをしました。今期から,新たに受講生証が発行され,エソール広島の施設でのいろいろなサービスを受けることができるようになりました。
講師:喜多流能楽師 大島衣恵さん
■プロフィール
2歳で初舞台。平成10年,喜多流では初めて女性で(社)能楽協会に登録。平成14年には,欧州公演に参加。特に,子どもたちや初心者への能楽体験学習に積極的に取り組み,能の普及活動に努力している。 広島県内の大学で能楽非常勤講師として教鞭もとる。
能の紹介
皆様,ご入学おめでとうございます。今日は,「能の道を歩む」と題しまして,現在私が歩みつつある能のお話をさせていただきます。 能は,室町時代に生まれ,有名な観阿弥・世阿弥親子が大成し,困難な時代もあったけれどそれをくぐりぬけて,今日まで伝わってきております。 能の中で,謡を謡うことと舞を舞うことを専門にする人たちのグループをシテ方といって, その流儀には,観世流,宝生流,金春流,金剛流そして喜多流の五つの流派があります。 「お能というのはどんなものですか」と聞かれたとき,謡や舞そして音楽がありストーリー性のある舞台芸術であるということから, 「一言で言えば中世にできた日本のミュージカルです」と説明しています。 能は,シテ方だけでなく,お囃子方といわれる楽器の演奏を専門にする人たちがいて初めて1つの舞台を完成させることができます。 能の楽器には,能管といわれる横笛や小鼓,大鼓,太鼓と,4種類の楽器が登場しますが,お囃子方の楽器それぞれにも流儀があります。 そのほか,ご存知のところでは能楽のひとつである狂言-狂言師と言っているのは正式には能楽師狂言方なのですが-にも流儀があるので, 能に関する流儀というのはたくさんあることになります。
喜多流の特徴
私の属している喜多流は,江戸時代初期に,より武士好みで力強く男性的な芸風を求めた末にできた流儀です。 そのため,他流が女性の能楽師を養成していくという流れの中で,女性で趣味や愛好される方がたくさんいても, 本格的な舞台人として,プロとしては養成しない方針でやってきました。
能を志したいきさつ
私が能の世界に入るきっかけの一つに祖父の姿があります。 私たち4人きょうだいは,小さい頃から皆一緒に祖父に稽古をつけてもらっていました。 そのころの状況としては,女の子に熱心に稽古をしても将来跡を継ぐということはないのに,子方(子役)や仕舞の稽古などを, 弟に対するのと同様に情熱的に稽古してくれました。 その祖父の姿から,何かをやろうとする時,そこに熱があるかどうかで周りに与える影響が違うものだなと今,思っています。
子方の時期が終わると,弟は舞台装置の製作や幕をあげることなど,そういう楽屋の仕事についての勉強にだんだん入っていきました。 私の方は,プロになるあてがない場合には楽屋に入るということはなかなか難しいので, 実家の福山市にある能楽堂でお客様の受付のお手伝いをするなどして過ごし,何となく弟と私で役割が分かれていきました。
いわば暗黙の了解で,女の子はプロになれないので,祖父や父のようになりたいとはあえて思わないようにしていたのかもしれませんが, 能にかかわることを続けていきたいという気持ちは強くあって,中学・高校の間は,稽古をつけてもらいながら, 愛好家の方たちの発表会に一緒に出させてもらったりして,能に携わっていました。
現在何をしているか?
その後,大学進学という時に,何とか能を続けながら大学に行きたいと考えて,日本の伝統音楽を専攻でできる東京芸術大学音楽部邦楽科に進みました。 大学のシテ方の学科には観世流と宝生流しかなく,流儀をかえることは難しいので,能のために勉強する必要があると思い,お囃子を専攻しました。そして4年経ち,卒業後は専攻した小鼓方になることを考えては,というアドバイスもいただきましたが,まだまだ厳しい道であるにもかかわらず, 観世流や宝生流では能楽師の道を目指し頑張っている女性が周りにおられましたので,私の流儀だけ未来永劫,絶対に女の人は駄目です, ということはないのではないかと,とにかく後悔しない道を選ぼうと考え,その道に進むつもりで一応卒業しました。卒業して現在,丸7年ぐらい経ちます。初めは舞台に出ることもなかなか難しかったのですが,その間に出会った色々な方や応援して下さった方のお蔭で, 今は徐々に舞台にも出させていただけるようになりました。 能の舞台は観客の方があってこそ成り立つものなのですが,お能というと難しいイメージをお持ちの方が多く, 気楽に見に来てくださいと申し上げてもちょっと敷居が高いという反応を頂くことが多いのです。 どうすれば能が広がっていくかといろいろ考えて,子どもたちが謡の一節でも謡えるようになると自然に能に親しめるのでは,と考えました。 現在は,こちらからのアプローチや小学校の総合学習の開始もあって,ぜひお能の授業をしてほしいと言われたり,年間の授業にして頂いたり, 社会見学として私のほうの舞台に来られてそこで体験学習をする取り組みをされたりしています。
小学生は,何もないまっさらな状態で能に接しますので,新しい物にふれておもしろいようで, 普段自分たちが音楽の時間に歌っている歌とは違うけれども,とにかく「大きい声を出してみましょう」と言うと子どもたちはだんだんのってきてくれます。 お能の道具なんかも見せたりすると,普段目にしたことのないものが多いので,非常に興味をもってくれます。 そういう子どもたちの反応をご覧になって,先生方も安心され,次の年の能の学習につながってきているのかなと思っています。
伝統文化の意義
海外に留学された経験のある方や,仕事で海外に行かれた方は,いろんな国の方とお付き合いする時に, お互いに,個人に対する興味や個人の後ろにあるもの,要するにその人がどこの国から来た人か,ということで話が盛り上がったりします。 そうすると,日本人として日本の伝統的な文化について何か教えてほしいとか,歌ってみてとか言われた時に, 日本のオリジナルのものを自分はまったく身につけてないなということを痛感されて, 帰国後にちょっと謡をやろうかなということでお稽古にこられる方もあります。 自分の国のことが分からないと,他の国の文化を受け入れることも難しいのではないでしょうか。
自分の国に長く育まれたもの,その土地,その国に長くある人間のつながり,縦のつながりのようなものがあり, それが伝統文化というものに象徴されるのかなと思います。 私はたまたま能に携わっていますが,能に限ったことではなく,伝統文化を子どもたちに伝える意義とは, その時間軸の繋がりを体の中に感じて,自分の生まれ育ったところを誇りに思うことではないでしょうか。 その上で,堂々と胸を張って国際人として羽ばたいてほしいと考えています。
世阿弥の「初心わするべからず」について
今日は入学式ということで,みなさんにお贈りする言葉として,世阿弥の「初心忘るべからず」をご紹介したいと思います。 "初心"というのは,普通は「新鮮な気持ち」というニュアンスで使われていますが,世阿弥のいう初心とは, 物事に最初に当たったときの自分の未熟な状態をいいます。人はだんだんと歳をとりますが,その歳になったのはその時が初めてで, その状態自体が初心です。そしてそれを忘れるなというのは,常に自分は初心の者であることを忘れるなということで, ひとつは謙虚になれということでもあり,もうひとつは,困難に当たったときに,以前に困難にあった時どんなふうに乗り越えてきたのか, それを忘れずこの困難を乗り越えていきなさい,という励ましの言葉でもあります。 ですからこの言葉は,戒めと同時に前向きな,励ましをもらえる言葉なのです。
参加者の声
- まだ若い大島さんが,まっすぐに自分の決めた道を歩いておられる様子に,勇気づけられた思いがしました。
- 講演の中で,謡本のプリントを見ながら講師の後について「高砂」を練習し,最後は通して謡いました。 お腹の底から声を出すのは気持ちのいいものでした。
- 講師の講演の声と謡の声の違いにびっくりしましたが,大島さんのあまり口を開けなくてもはっきりときれいな発声は,元々日本語は口を横に引いて発声するものであり, それを意識しておられるとのお話が印象に残りました。
- 妹さんの大島紀恵さんの地謡で,高砂の仕舞を見せていただき,はじめて能に接することができ,とても素敵なご講演でした。