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情報紙エソール
エソール広島では、情報紙「エソール」を年3回(4月・7月・1月)発行しています。
特集記事・行事報告・
読書ガイド・催し物等情報満載です。ぜひご覧ください。◆(希望者には郵送にてお送りします。)
VOL46(平成14年秋号)

- エソール広島映画祭
- 2P
- 国際交流事業
- 3P
- 特集!ひろしま女性大学修了生のその後
- 4P
- グループ紹介
- 6P
- ひろしまけん通信
- 7P
- エソールインフォメーション
- 8P
エソール広島映画祭 「映画づくりの中で出会ったらいてう」
映画『ー元始、女性は太陽であったー 平塚らいてうの生涯』 羽田 澄子監督 講演
■プロフィール
- 1926年旧満州生まれ。
- 1950年岩波映画制作所入社。
- 1957年『村の婦人学級』で監督デビューし、ドキュメンタリー作品を数多く手がける。
- 1977年初の自主制作『薄墨の桜』を撮り、,『早池峰の賦』(1982)では女性監督で初めて芸術選奨文部大臣賞を受賞。
文芸誌『青鞜』を創刊し,婦人参選権獲得運動の道を開いた平塚らいてうの記録映画上映会が、7月28日(日)エソール広島で行われた。
監督の羽田さんが、らいてうと想いの重なる時代を生きた自身について語った。
不満だった軍国主義
"兵隊になる子どもをたくさん産む"ことが女の使命とされた教育を,私はずっと受けて育った。"人間はどう生きるべきか"と悩んでも,学校の先生は「お国のためにすべてを捧げよ」という話しかしてくれず,質問する気にさえならなかった。それをずっと不満に感じていた。この想いは,高等女学校の良妻賢母教育をボイコットしたらいてうと通じるものがあった。
映画監督として生きる
私が監督を始めた頃は,女性で映画を作っている人は数名くらいで,非常に珍しかった。周りのスタッフは皆男性で,女性の監督に不満を露わにする人もいた。ふつう10年位の助監督を経験して監督となるが,私は2年で監督をと声がかかった。そのため男女差別もベースにあったが,若い経験不足な女の子が一体どんな物を作るのか,という不信感がスタッフにはあった。先ず,人を動かすのが大変だった。併せて,最初の仕事で失敗したら会社は二度と私に映画を撮らせてくれないだろう,という雰囲気が強くあった。背水の陣で臨み,なんとか及第点をとって一歩一歩進んできた。半世紀,私は映画を作り続けることで自分の仕事を確立させた。
「女はあてにならない」と言わせない
雑誌出版社で仕事をしていた頃「女は途中で辞めるか ら編集は任せられない」と社長に言われた。だから,岩波 映画に入ったとき"絶対に途中で辞めない"ということを自分に課し,定年まで勤めた。「女はあてにならない」と 言わせない義務が,あとに続く世代の人たちのためにもあ ると考えた。責任を果たせた,と自負している。
国際交流事業 ~メリー・ラッセンさんを迎えて~
7月19日から4日間、ニューヨークのジャパン・ソサエティーが主催する地方政治・公共政策フェローシップ・プログラムにより来日した、アメリカの「女性のための教育・労働連合(WEIU)」専務理事、メリー・ラッセンさんが広島に来られ、交流・学習会を行いました。
「WEIU」は1877年、『女性とその家族が自分に尊厳をもち,経済的に自立して生きていくための手助けをすること』を使命に設立されたNPOです。
ラッセンさんからご紹介いただいた、「女性のための教育・労働連合(WEIU)」の主な活動内容です。
1. 女性の職業能力開発の支援
就業を希望する女性に実行力のあるトレーニングを実施。
2. 在宅介護者への支援
介護者に,より質の高いトレーニングを提供し、『高齢者の介護や子どもの養育は尊敬されるべき仕事であり、十分な対価を得られる仕事である』ことを社会に強く訴える。
3. マーケット
商品開発を行う女性に専門的な知識を提供し、開発した商品をNPOの店舗「SHOP」で販売。
4. DV被害女性への支援
シェルターを出た後の再発対策として、一時的(18ヶ月在住可)に住居を与え、教育やトレーニングの機会を提供し、経済的自立をサポート。
5. 生活費の基準設定
基準を超えると福祉政策が打ち切られる「貧困ライン」の低さを問題視し、リアリティのある公式基準を設定(州議会で法制化)。
6. 女性から女性へ
就業を希望する既婚女性が約15人ずつグループを作り、家事と仕事をうまく両立させる方法や、自分自身が取り組むべき課題について語り合う。
女性に実行力のあるトレーニングを実施すると同時に,政策決定の場での変革も求めるという、政治 (社会)への働きかけも行っており、今後,「WEIU」が取り組むべき大きな課題は、「女性とIT」であると考えていると言うお話でした。